「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」 =「圧倒的な絶望」を観れたのが嬉しくてボロボロ泣いたお話=
ジェッジジョンソン藤戸です。
ブログに映画の感想を綴るなんて何年ぶりでしょう。「旧・別人」でエピソード3のプレミア試写会行った時以来かも。
先日、「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」を観て来ました。
誰もが知ってる「スターウォーズ」シリーズをベースにしたスピンオフ(いわゆる外伝)作品。スピンオフって冠がつくと、どうしても「正史」ではないからなぁ、と思ってしまいがちです。おなじみのキャラは出てこないだろうしキャスティングもストーリーも地味になりそうだし、結局僕らが観たいのは「正史」だし。でもまぁスターウォーズ関連ではあるから押さえとこっかな。と、そんな気持ちで映画館に足を運びました。僕だけではなく、スターウォーズのファンは誰しも「軽視していたはず」です。あまり期待していなかったはずです。
そしてほぼ全員「心を持っていかれた」んじゃないでしょうか。かくいう僕も文字通り斜に構えて上映スタート、
そして気づいたらグシャグシャにボロ泣きしてました。
エンドロール終わっても立てないぐらい嗚咽してました。なんというものを作ったんだ。なんというものを。 スターウォーズの外伝が、僕の中でシリーズ最高傑作に。
藤戸家にとってスターウォーズは「皇室アルバム」のようなものです(ぇ)。両親ともに大ファンで、テープが伸びるまで観まくった三部作、シーンもセリフもほぼ暗記してるぐらい再生しすぎて、映像なんかもう荒れて荒れてもはや貞子が出てくるんじゃないかってぐらい。物心ついた時からスターウォーズは、いつも僕の日常にありました。
小さい頃に親父に尋ねたことがありました。「デス・スターってどれくらい大きいの?」「ヴェイダーってどれくらい強いの?」真剣にかつ丁寧に説明するフリをして、よく判らない返答が。「月より小さいぐらいだよ」「ルークより全然強いよ」。いやだからさそういうことじゃなくてさ。 デス・スターって月と同じぐらい大きいんだ。でも月ってそんなに大きいんだっけ?「月が大きい」というのは事実だけれど、僕の目に映る月は「小さい」し。「月は大きい」と社会が言うから思っているだけで、実際に月がどれくらい圧倒的に巨大なのか、その質量を自分の目で観たこと無いんで全て「漠然とした認識」です。
だからいっぱい想像と妄想をしました。あぁたぶんコレぐらいデカイのかなぁ、アレぐらいデカイのかなぁ、中はビルみたいなんだろうかなぁ、新宿NSビルみたいな感じなのかぁ、てことはあれぐらいの大きさなのかなぁ。
三部作の中で恐怖の象徴として登場するデス・スターですが、僕にはその「恐怖」と「存在」がなんとなく漠然としたものでした。「ジェダイの帰還」で惑星エンドアの地上から眺める、空に浮かぶデス・スター、それは「目に見える月ぐらいの存在」であって、サイズ感からなのかそんなにデカイとか怖いとか思えなかったんです。宇宙空間でのシーンも実際に観たことの無いXウイングや宇宙戦艦が横に居ても全くピンと来ません。そしてレーザー砲も「んー言うほど怖い武器?」って感じでした。惑星ひとつ破壊する威力で、劇中でも惑星オルデラーンを粉々にしますが、当時の描写も「ビシューン!!」「バカーン!!」みたいな0.5秒で氷結レモン的な木端微塵。あー破壊力凄いね(棒読み)ぐらいの認識でした。
デス・スター観ても恐怖と思えない。同様にダース・ヴェイダーもそう。悪の象徴であるにも関わらず「そんなに強そうに見えなかった」のです。なんか動きもトロいしライトセイバーの振り回し方もぎこちな(タッタッタグサァァッぐあぁぁぁぁぁ・・・・)数人でマシンガンで取り囲んで一斉射撃したら勝てんじゃね?とか。「偶然遭遇してもなんとか逃げられそうだし切り抜けられそうな感じ」がしたのです。
そんな漠然とした数々を、ローグワンはブチ壊してくれました。
見上げたらね、空を覆うぐらいに巨大なデス・スターが水平線の向こうから「せり上がって」くるんですよ。とんでもなく巨大なんです。今までに無かった視線の先に映るデス・スターは、まるで「現実にあったらこう!」と言わんばかりに巨大で、そして美しかったんです。その場面を見た時、僕も「あぁ俺死んだ」「やっべぇ観ちったもう無理オワッタ」という圧倒的絶望を初めてイメージ出来たんです。子供の頃に空想した「圧倒的恐怖」と「圧倒的サイズ」のデス・スター。それが「現実」となって観れたのです。架空のモノなのに現実っておかしいですよね。でも「現実」はそうかコレだったのか、コレぐらい大きかったんだ、コレぐらい怖いんだって、コレ観たら最期なんだ終わりなんだ助からないんだって。頭の中で漠然と思い描いてた景色が目の前に現れたんです。そんな絶望的な光景にも関わらず、ブワッと涙を流しました。「観たかった景色」だったんです。
観たかった景色が、これでもかってぐらいに描かれているんです。 ヴェイダーもそう。前述の通り「偶然遭遇してもなんとか逃げられそうだし切り抜けられそうな感じ」が今までには有ったんです。今回はまさに「圧倒的な絶望」そのものです。出会ったらまずアウト。「俺死んだオワッタ」ですよ。全くもって勝てる気がしない。何をやっても勝てる気がしない。無双状態で迫ってくるヴェイダーのシーンは、ヴェイダー史上最高のシーンです。嗚咽しました。これだよ、この圧倒的強さを観たかったんだよ。問答無用で最強だって判る姿を観たかったんだよ。小さい頃から観ていた「悪い人」は、想像した通り本当に銀河最強だったんだ。いつも僕の横にいたヴェイダーは、やっぱり最強だったんです。涙が止まらなかった。
他にも「観たかった場面」のオンパレードでした。イオン砲(劇中ではイオン魚雷)の「正しい効果」が初めて描かれました。あぁなるんですよね。泣きました。ハイパードライヴ中の直線軌道上に障害物が割り込んできた場合どうなるのか。見れました。ああなるんですね。泣きました。AT-ATにロケランぶっぱなしたら衝撃であぁ揺れるんですよね。泣きました。スター・デストロイヤー2隻の「アレ」。あのシーン、僕の中で映画史上でトップ3に美しい映像です。なんであんなに綺麗なんだろう。泣きました。そして何よりスター・デストロイヤーが街の上に「停泊」しているあの景色。僕、初めて「スター・デストロイヤーってこんなに大きかったんだ」って。大号泣です。いままで「何となく」だった色んなことが、ローグワンで「初めて認識」できたんです。超号泣です。
「希望は死なない」。ローグワンのキャッチコピーでも使われている希望という二文字。劇中でキャストもバンバン使ってきます。ピンチになると(言葉に詰まると)アホみたいに連呼してきます。お前らその単語しか知らんのか。その希望を強く引き立たせるために、これでもかというぐらい見事に描かれる圧倒的な「絶望の風景」。あぁ諦めるってこういうことかと、観ているこっちが絶望を共有できる風景。思考が停止するぐらい絶望な風景こそ、ちいさい僕が想像して妄想して「いつかその世界に立って、この目で観たいと願った風景」だったのです。
ローグワンに映し出された数々の景色は、僕が小さい頃に想像した、 星空を眺めながら思い描いた、とても美しく、はかない景色でした。 デス・スターはね、観たら生きてることを諦めるぐらい、絶望的に大きいんだよ。
=追記=
この文章を書いてるたった今、レイア姫を演じた女優、キャリー・フィッシャーが亡くなられたと聴きました。とてもとても大好きでした。僕だけでじゃなく全てのスターウォーズファンが同じ言葉を捧げるでしょう。
「フォースと共にあれ」と。ご冥福をお祈り申し上げます。